1951年から1957年の7年間。冷戦時代と呼ばれるこの時期、世界はアメリカとソビエト連邦を両陣営の盟主とし、二手に別れて激しく対立していました。上にある写真はこの時代に撮影された、数百回を超えるアメリカの核実験の模様です。
広島・長崎の悲劇を知った現代ならば、核がいかに怖ろしいものか、世界中の多くの人々が理解していることでしょう。しかし海外サイト『dailymail.co.uk』に掲載されている写真を見ると、実験に関わったアメリカ軍兵士たちが、核爆発で起きたキノコ雲から信じられないほど至近距離にいることが確認できます。
なぜ彼らは、こんな危険をみすみす犯しているのでしょう。実はこのとき、ここにいた兵士たちのほとんどが、原子爆弾による大きな健康上のリスクを知らされることなく実験にのぞんでいたのです。
アメリカ軍による核実験は、冷戦期にアメリカ・ネバダ州で数百回におよび行われました。その際に軍は、軍人や民間人から数千人もの参加者を募ったそうです。彼らは皆、核がどのようなものかなど知る由もなく、なんの装備もないまま高レベルの放射能を体中に浴びました。
実験が行われていた7年の間に被爆したとされる兵士は『アトミック・ベテランズ』と呼ばれ、その人数はおよそ40万人以上ともいわれています。彼らの半数は第二次世界大戦中に広島・長崎に赴いており、そのうち戦争で生き残った兵士たちはなおも1962年まで核実験に参加していたそうです。
高レベルの放射能に長期間晒された兵士たちの多くが、急性放射線障害による吐き気や、晩発障害による癌や白血病を発症し、彼らの子供たちの多くが奇形児として生まれました。
1957年の実験に参加した当時18歳の元海兵隊員ジェームズ・D・タイラー氏の証言によると、彼は実験時、爆発から至近距離にあるおよそ1.8mの穴の中にいるよう命じられたのだとか。しかし彼自身は、幸運にも放射線障害を発症することはなかったといいます。
ちなみにこのときの実験には14000人が参加しており、さまざまなテストのため、彼らは29回もの爆発を体験したのだそうです。実験で放出された放射性ヨウ素は、健康に悪影響を与えるには十分すぎるほどの値である58300キロキュリーを記録。さらにそれらが到達した距離は、爆発が起きた場所からはるか1609kmも離れた地点にまで及びました。
また別の核実験では、「人間に対する原子爆弾の影響テスト」と称して、被爆した食料を兵士たちに食べさせ、医学的なデータを収集していたともいわれています。
破滅という言葉以外、なにひとつ生みださない核という人類史上最悪の凶器。何も知らない自国の若者たちまでをも平気でモルモットにする行為、人道的に決して許されるものではありません。
(文=田端あんじ)
参考元:dailymail.co.uk(http://goo.gl/Awnt4 )
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